写真は省略、映像は積み重ね。
8年ほど前に作ったカラーコピーのパネル写真を事務スペースに飾っている。特に色褪せていないトナーのツヤと、やや黄ばんできた元々の紙の余白がいい感じの対比になっている。
ニュートラムの乗り換えで十数年ぶり住之江競艇場全景を眺める。ホルガで二枚撮る。
9年前にチラッと発表した作品のレタッチが、それはそれはもう明るくてビビる。けど明るいままに、ちょっとだけ引き締める。
飲酒スキャン、ダメ絶対。
雨の昼下がり、客のピークもすぎた誰もいない王将のカウンターで天津飯とラーメンのミニセット。
うしろのハム太郎
(言ってみたかっただけです)
僕の好きな大作戦は、怪奇大作戦です。
今の季節の夕暮れは、日が落ちる前に、鉄のように光が硬く見える感じがする。熱燗ホシイ。
オファーを受けてかねてから構想していたアレが来年実現しそうである。しそうであるというか、まず間違いなく、やる。構想を記したメモを久しぶりに読み返すと、なかなか意味不明な内容が綴られていて、自分で自分が心配になる。笑
人間が作り出した「都市」という風景に立ち向かう写真家は、そこにどんな普遍性を見つけるのか。
荷物が重いな?と思って、3台入れてたカメラが1台になる。
デジタルモノクロで色の転んだプリントを堂々と展示するより、モニターで表示して展示するほうがいいんじゃないかって話しに、表示デバイスが高画質化した現代において、なんだかデジタルモノクロとしての可能性を感じる。
それは妖怪・毛布回しの仕業です!
(2015.11)
風景・・目の前に広がる世界
景色・・鑑賞する対象としての風景
光景・・風景の中での一連の出来事
人を省いた風景と人がいない風景の違い。
iPhoneに保存してる写真をMacに移動して容量確保。まだまだ使えそうなiPhone5。いまだにiOS6。
「焦げる風景」は終わったあと長らく自分でも顧みていなかったが、今観るとけっこうイイな(笑)全体的に主題の捉え方が軽薄な印象があるので、そういうのを削ぎ落として取り組みなおしてみるのもいいかもね。
仲間だけど友達ではないということは大事。不純物同士として他の作家を知ることが前提。そういう距離感が何かに表れたらいい。芯の部分は誰かと安易に混ざらないこと。
自分だけの「写り」を追求するのも作家としての仕事です。
今日は大阪府南部の海沿いの街を延々と歩いて撮った。時間が止まったような街だがほぼ二年ぶりともなると、撮影巡礼地の半分ぐらいは無くなったり様相が変わったりで、時計の針が実は動いているのだと知らされる。
タマシイの削れない在廊なんか在廊ちゃいます!真っ白な灰から蘇ってください☆
今年はたくさんの作家さんに個展開催して頂いたおかげで、僕自身もセレクトの眼力みたいなものをかなり磨かせてもらった感じがする。自分自身では取り組まないような様々な主題に対しても良いアドバイスができるように質や精度をどんどん高めていきたい。
みんながホルガで撮った写真は永遠ですっ!!
実は、うしろのハム太郎と同時に、とっとこ百太郎というのも当然考えました。念のため検索してみたら、2件だけありました・・・素晴らしい人がすでにいた!そんで次に、読んだらその日の売り上げが100万円下がる恐怖経済新聞というのを考えたが、検索してみると、元々そういう設定があるらしい。なかなか新しいネタってないな。
丹後の海に行った日がなんとも言えない空模様だった。台風接近間近の雲から透けて届く太陽の光はやけに黄色く、生暖かい潮風が細かい砂と共に吹きつけてきて、浜辺のベンチで座って飲むカップ酒の味わいもなんとも言えない感じになった。
インパクトのある写真をいっけん控えめな写真に見せかけるよう散らし、分かりやすい盛り上がりを潰すことで、ジワジワと心から離れない時間の流れを創り出すこと。それをいつも考えてる。
僕の好きな劇場は、恐怖劇場アンバランスです。
撮りたい写真はあるが、スキャンしたいネガのほうが多い。
オカマ声の時はのどぬ〜るスプレー☆
だいたいいつも、僕は気が付くのが遅い。回り道ばかりだ。おかげでいろいろ見たり聞いたりもできたんでしょ?と、良いように考える。
しょうもない日本酒をギャーッと燗して飲みたい。
ネタ帳みたいなフォルダを整理してたら「死に関するテキスト.txt」っていうファイルがあって、死に関するいろんな言葉や記事の断片をコピペしまくっていた。やったのは僕ですけど、すっかり記憶から消えていたので、なんだコレ??ってなる。けっこう面白い。
風にたなびく俺のパンツ。夕方になったら、夕日に照らされる「俺のパンツ(C)」になります。
斬れ味の悪い刀でも、切っ先で突かれたらそれなりに痛いから、厄介なんですよ。って、以前に書いたことを思い出して書いてみる。
「バーボン」って検索窓に入れたら「バーボン 飲み方」って出てきて、そんなモン、口から飲めや!目ぇから入れるんか!!とか思ったけど、そういうこと尋ねてるんじゃないから落ち着いてください(誰)
乗せた想いが強いほど、観た人にYESかNOか迫る感じが強くなるのかな、と思う。
(2015.10)
そろそろ小腹のすく時間になってまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
川沿いの並木道の落ち葉が積もる広場にレジャーシートを敷いて寝転んだ。夕方から雨予報だという今はまだ真っ青な空には透きとおりそうな雲が何層にもかさなってそれぞれの方向へちぎれていく。その境い目に現れた青い隙間を鳥が風に乗ってスーッと滑るように飛んでいった。ホルガで一本だけ撮った。
写ってる場所はもう無くなったけど写真の中には今として存在してる。
ミラノで参加している展示のカタログが届いた。ぶ厚い本でビビる。僕は自分がしたいことをコツコツ続けているだけですが、それを取り上げて下さる方がいて、遠くまで作品が届く日もあって、素直に感謝。
言葉の細かいニュアンスはよく分からなくても、それを越えて、好きなところが見つかるっていうのは、いいですよね。
どうにも収まりがつかない1枚でもそれが入る場所は必ずある。適当に置いていい写真は1枚もない。「自分では選ばないような写真」を撮っているのは間違いなく自分自身なので、それが他者によって選ばれるということは、やはりその写真には何か重要な意味がある。
自宅を出る予定の時刻になったが妻の支度が終わらず延長戦。この八年間の僕の待機時間を合計すると十年分ぐらいになると思う。ん?
自分が「この味付けでイケてる」と思って作った料理に、結果的に醤油やソースを掛けて食べられてしまったなら仕方ないということであって、味付けの方法が分からないから醤油でもソースでも好きに掛けて食べてくださいというつもりで初めから作った料理は厳しいワケです。写真の話し。
熱燗の季節ですね!(フォルティッシモ)
せがた三四郎。(急に思い出した)
まだ定休日が月曜だけだった頃、日曜の設営が終わって日付がとっくに替わってから帰宅し、風呂のあと酒飲みながら朝の4時半ぐらいまで自分の写真のこと考えて、そこから3時間寝て、起きたら少し遠くへ撮影に出掛ける、というのを繰り返して作ったのが「いつかへの旅」シリーズ。もうあんな元気は無い
起きた。早く寝たい。
来年の個展に向けて軸となるテキストはすでに書き上がっているが、それを裏付けていく細かなコトバを思いつくたびに書き留める。オモテには出さないけど設計図のようなものを頭の中で広げている感じ。自分が見たり聞いたりできる範囲よりもずっと遠くで何が起こるか想像するための道標のような。
買った酒から奈良漬の味がする。
先日依頼したフィルム現像24本が仕上がってくる。期待通りのシーンもあれば、期待以上のシーンもあり、その一方で期待を裏切るシーンもある。さて、この期待って、何に期待しているのか?何だろう。ね。
以前、個展を開いて頂いた作家さんが久しぶりにお見えになった。社会人になって忙しい日々の中で、以前のような暗室プリントではないのですがと、たくさんのインクジェットプリントを見せてくださった。何度も繰り返し編み直して一生の宝物になるような写真たちだったので僕も嬉しかった。
ニコンサロンの帰りに向かいでやってたオクトーバーフェストをチラ〜っと観に寄ったがメニューの値段みて逃げた、笑。
撮ってる段階は全体の作業の最初のほうの工程であって、作業としては一枚一枚に軽いも重いも想いもない。撮ることに最初から面白さは感じないので(手応えは感じるぞ)、状況をたくさん集められたらいいだけ。ただ、撮りたくないもの(いらんモン)はちょっとある。
最近、たけのこ派からきのこ派になりました。でもたけのこはずっと好きです。
自分が終わるっていうのは、ある種、この世が終わることであり、世界は常に様々な誰かの中で終末を迎えている。
夜中、バルコニーに出ると、東の空にオリオン座がのぼっていた。あー、夏も完全に終わりだな。
火花が出るほど寝たった。
説明すべき言葉というのは、自分がつくったものを人目に晒し発表を繰り返し、その結果を蓄積して見つめなおすことで、誰かに教えてもらわなくても、自ずと湧き出てくるものだと思います。それがあるのか、ないのか。ゼロにはどんな数値を乗じてもゼロにしかならないし、同じ数値を同じ公式に当てはめているだけでは皆んな同じ答えになる。最初のうちは誰でもそうかもしれない。でも何かがキッカケでゼロだったのがコンマ5ぐらいになって、少しずつ変化が始まる。
凍ったカレーの塊をカキ氷機で・・・うわぁ
本日は珍しく依頼撮影で出掛ける。自分ひとりで好きなところに出掛けていって好きなものを撮ってくるというお仕事。もちろん撮った後の思考も大事だし、どこへ行くかというのがチョー大事。行き先はだいたい決めた。
単純に見た目が黒い写真を選ぶんだったら、たんに部屋の電気消したらいいだけのハナシです。
セセリチャージお願いしますっ!
フィルムが尽きてから絶景に出会うという。
メモ帳を開いてから80秒ほどの出来事。HOLGA新作のテキストが突然書き上がる。今年2月の個展が終わってからポツポツと考えていた幾つかの事柄が繋がった。写真はまだ揃っている感じではないが、来年5月の予定を変えるのも良さげ。1回で答えが見えないなら何回でもやればいいよね。
声ガラガラの朝。一晩中アルコールを解毒し続けた肝臓からの疲労メッセージ
僕が生きようが死のうが、時間の流れはお構いなしに進んで行く。僕が生まれて死んでいくまでの日々と、この世の日々そのものは、関係がない。日々の流れの中で、僕もちょっとのあいだ一緒に流れているだけ。そう思うと、いい日も悪い日も未来に続く一日ということだけは間違いなく、ラクだ。
Yotubeの検索窓にzombieって入力し続ける。
真夜中の空にむけてフラッシュ撮影など。真っ黒だけどなんかザラザラした紙の完成。
仏 オブ ザ デッド(ハリウッド超大作)
何から何まで計算どおりに成立するようなモノを作ることは目指さない。いっけん失敗作のように漂わせる。
なんとなくまとまらない考えがあって、それが結果的に何になるのかも分からないけれど、そういうヤツが僕のアタマの中で息をし始めた。5月の事なのだろうか、その先の事なのだろうか、もっと先なのか、いつまでも役に立たない事なのか。息してるヤツの正体が分からないので、しばらくソワソワしないといけない。なんだろうコイツは。
いちばん好きな次元は大介です。
(2015.9)
月末支払い綱渡りから生還ドスン。
世の自営業者のために、月末のない世界を目指す政党を立ち上げたい(白目)
先日書いた英語のテキストが無事イタリア語にも翻訳されたようであるが、ちゃんと英語書けてたのか心配である。
2011年の個展3部作が、短い期間で消費されるような作品にはならず、自分の手から離れて様々にカタチを変えながら、いまだに続いていることは嬉しい。
先日某氏からなんとなくオーダーされているのかな?というような気がする展示のプランがいきなり天から降ってきて、忘れないうちに書き留めた。
テトリスのブロックが降ってくるかのようにアイデアが続々と降ってきて、二度寝を断念する。
最近、アイデアが天から降ってくることが多いから、そろそろ寿命かと思う。降ってきたのを拾っただけ、天に帰る日が近寄ってくるのだ。
天に帰ったらどんどん降らせます。
先日は神戸で良い作品を見た。来年5月に予定していた個展はやめて、自分のすべき事(と思っている)をちゃんと積み上げていかなければと思い、新しく始めることにした。こんな感じでやってみたい。
たいていの場合、誰かの期待を超えれば、ほかの誰かの期待を下回ることになる。自分が納得して世に出したものに対して、超えた期待や下回った期待の声を、忘れないように聞いておけばいい。
いい意味で期待を裏切るのと、悪い意味で期待を裏切るのと、向かう方向が違うだけで「現象」としてはどちらも同じだ、と思ったのである。
海に石を投げ続けて疲れた。石を投げていると無心になるどころか、あれやこれやと腹の立つことが思い出され、あぁ、これがストレス発散かと、納得した。ゲボぉ。
見れた見れなかったはそれぞれの人にとっての必然。展覧会っていうのはずっとやってないからいいんですよね。
出るべき試合にちゃんと出ることですね。
個展の予告編を見せるつもりでいきましょ!1枚ぐらい個展候補でイイ写真出しておく方が次も覚えててもらえます。
辛いとか苦しいとか楽しいとか嬉しいとか、それは分かりますから、その後に何が始まるの?想いを人に伝えたら完成?それで終わり?っていうのが多い。
ソーメンしか食ってないのに胸焼け。もう寿命だ。
これは僕個人の感想です。このあと僕が寝てる間に死んだら故人の感想です。笑。おやすみなさい。
偉い先生に何か言われて自分のやってきたことを変えることに迷いがなければ、それは初めからたいしたことしてなかったわけだし、納得いかなかったら、主流になることは諦めてデカイ傍流を目指せばいい。どちらの側にあっても、自分が何のために作ってるのかを見失わないことが大事。
東京の酒代は怖かった。
居酒屋百姓一揆の2軒隣にスナック戦国時代もあるんです。
ポラは雰囲気がよすぎる、6×6は絵になりすぎる、トイカメラはカメラに頼りすぎてる…etc、〜は〜だからダメ教徒の皆様は、人の写真の何を見て、自分は何をしたいのだろうか。主語なし。
日付が変わる前に寝る暴挙。僕にも朝が来ますように。南無。
赤血球が足らん。輸血したい。
写真撮り始めて3年ほど経ったころ、会社の休み時間に森山大道の「犬の記憶」の文庫本を繰り返し何度も読んでいて、いつの間にか仕事中のちょっと手が空いてる時間とかにもずっと読んでいて、1年ほど経ったらリストラされた。
自販機で栄養ドリンクを買ったら「死力」という名前で、飲んだら死んじゃいそうな商品だな〜と思ってたら脚がツって目が覚めました。
蛍の光、窓の吹雪、やだなー、やだなー、って思って、なんまいだーなんまいだー、って、でも窓の吹雪が消えないんです(by稲川淳二)
世界は目指すものではなく、結果的に呼び寄せられるもの。
(2015.8)
自分の目で見て、展示物がそうなっていることなら、いちいち作者に聞く必要は無いわけです。
もずくは飲み物です。
なんだか空気が止まったような不思議な雰囲気の店内で目についた本を一冊ずつ買った。
個展一回やるために年間で160本ほどブローニーを使ってた頃に比べると、昨年五月から今までたった40本ぐらいしか撮れてないから、かなりゆっくりしたペースだ。しかし目指すトコには確実に近づいている手応えはある。
スキャン性睡眠衝動に陥ったので、ちょいウトウトしてくる。
フィルムスキャン時にやってくる眠気を避けるにはブローニーフィルムを2本スキャンするごとに30分間ほど眠るとよい。
麦茶に炭酸水レモン味とカルピスを混ぜてみた。見た目は濾過途中の泥水。味はイケる。
ノスタルジーと写真は結局、切り離し難い。
お寺の境内にあったありがたい仏像にセセリ食わせたら美味しく焼けたゾンビになるお話でしたよね。
プロセス重視は、写真が好きか、カメラが好きかって感じですかねぇ。結果が良ければプロセスは不問といいながら、まあ実際はあんまりそうでもない。
自分のするべきことをしっかり続けていくことは意外に難しいこの世の中。何が揺さぶりをかけてくるのやら…
誰に頼まれたわけでもなく、展示や展示物に点数(特にマイナス点をね)をつけて作者に伝えたがる人は、実は何かの審査員だという仮説を立てるしかないよね。