今日は休みだと言うのに、なんと酒も飲まずに過ごした。(体調悪い目)
ウソはウソらしく、のほほんとバレて欲しいもんです。ウソはバレないとホントウになってしまうから。
超光沢のプリント用紙、ピカピカに刷れて爆笑。
2016年の個展、「最果てにて」と「風景」の際に頂戴した感想シートの束を読み直していた。いろいろな言葉がアタマに入ってきた。
病院の支払いで散財。
久々に頭の中を輪切りにしたら、まだまだ脳ミソいっぱい詰まってて安心。
わざわざ自分で写しているのに記憶に残っていない風景ほど面白いもんですよ。
感受性はわりと低いほうなので、自分の作った物に殺されずにきている。と、思う。外側からの刺激よりも内部から突かれて動いている感じ。自分の見たい物が無いから作っている。自分に影響を与えるのは自分自身。
まだまだ寒いが風呂上がりには扇風機が欲しくなる。気持ちの上では夏。
一瞬で写せるからこそ、その後の事を長いスパンで考えるのが、写真っぽいやり方だと思っています。
廃墟は風景写真の究極的形態なのではないかと考えているが、風景写真として撮っていては先が無いのも知っている。写真にポエム添えろとか、そんな事では解決しない。
にゅうめんにトロロ昆布をドッサリかけたらダシをだいぶ吸い取られた。
今週預かった写真展DMがどれも4月後半〜GWにかけてのぶんで、え!僕の個展もそろそろ印刷発注せなアカンやん、となる。まだ3月。
それはいますぐ効くお薬というわけではありませんが、何年か経ってから、あの時のどうでもいい風景の写真がビシッと効いてくるもんです。
描きたくない絵を描くのは気分的にも時間的にも苦痛ですが、撮りたい風景も撮りたくならない風景も、写真で写すのは一瞬です。
撮ろうとするためにカメラを持ち出すのか?カメラを持ち出したら撮れてしまうのか?
出展者が多くても少なくても、次週の展示の準備をしている時は楽しいネ。
4、5年おきに言う事が変わる。まあ人間ですから。
(2018.3)
写真には撮った人の気持ちが写るんです→すみません、そんなオカルトなことはないです→いや、写真を選んだ時の気持ちが入るんです→(途中略)→写っちゃいました→(・・・まだまだ先は長いゾ)
写真は真実を写すと書く→真実は写りません→事実が写るだけです→(途中略)→写っちゃった→(・・・まだまだ先は長いゾ)
どう撮るか→何を撮るか→なぜ撮ったか→(途中略)→写っちゃいました→(・・・先はまだまだ長いぞ)
次の次の次の次の次の次の搬入が自分の個展。
ビデオエンジニア的な用語でいくと、セットアップレベルを日本式の0IREにしていたのがアメリカ式の7.5IREになって、え?え?いいんすか?みたいな感じ。(誰にも伝わらんな)
廃墟を撮らなくなってもう14年間ほど経つが、保管箱の中で眠っている約1万カットのネガの中から、今でも新しい写真を見つけることが出来る。デジタル時代の今なら1万なんて大した枚数ではないが、フィルムの頃に…と、思うなかれ。本数にしたら300本もない。もっと撮ればよかったよ。
貸しギャラリーをする自営業としてまず誓ったのは「したくないことはやらない」というシンプルな事。
僕にとって、特に、2011年以降に発表してきたものは、自分勝手に未来の誰かへ託したい問いかけ、という気持ちで作ってきた。それってある意味、遺書のようなものだと、いまちょっと思った。誰宛でもない遺書を空き瓶に入れて海へ放つような。
花や実ができてから収穫に来る人には分からない、いろんな新しいものが芽生える瞬間に立ちあっていることを忘れずにいたい。
一年じゅう、沈丁花の香りに包まれながら暮らしたい。
個展「太陽」は2010〜2017年に撮った写真から未発表の物を中心に、も〜ホントにビックリするぐらい単純明快・ド直球な逆光写真だけ16枚での構成 です。物語も盛り上がりもありません。ただただ太陽を見つめながら自分が今ここで生き続けられていることへの感謝、それを並べたいだけです。
実はニンニクだめなのでニンニク抜きギョーザです。
若い女子の写真がプロフとして繰り返し更新されているアカウントからの友達申請。しかし主に書き込まれている説教くさい格言めいた記事の数々からして、絶対に僕と同じ歳ぐらいのオッサンに違いない。そうでなければ説教くさい若い女子だ。……それなら説教くさいオッサンのほうがいい。
それはようするにインプットなくアウトプットを続けてるような状態なのでそのうちアタマの中が枯渇するんだろうか。
西日の風景でも色は普通にすると良いよねぇ。
今週アビィに行くと具合の悪そうなオッサンが座っていますがそれは僕ですので、ソッとしておいてください(汗)
睡眠4時間で起床。ねむ〜。早よ寝たい。
存分に二度寝して起床からの買い出し。早よ寝たい。
チキンラーメンと白身フライ食べて腹一杯。早よ寝たい。
写真始めた頃、写真やってる人にロモやホルガの写真を見てもらうと、感覚で撮るなとか、カメラが面白いだけなど、トイカメラ使いであることを理由に白目視されたものです。
当時のそんな扱いの中で、色眼鏡で見ずに僕の作品を拾い上げて下さったのが、今は南青山にあるギャラリーナダール代表の林和美さん。写真ギャラリーの人がトイカメラの写真をちゃんと見てくれることが嬉しかったし、それがなければ僕も今まで続いていない。
僕がたまたま理解のなさそうな人に話し掛け続けていただけかもしれませんが、当時ネット掲示板なんかでの叩かれようの凄まじさは実感としてあるので、他のみんなもだいたい同じような目にあっていたのじゃないかな…
けれど、トイカメラを使い続けることの難しさも周囲を見て実感があるわけで。一過性の道具を使うなと忠告してきた当時の方々の言うことも間違いではない。
そういえば子供の頃、あと20年で人類は石油を掘り尽くして滅びる、みたいな話しを腐るほど聞かされ怯えたものだが、実際は新しい油田が次々に発見されているので、いまだ掘り尽くされていないから人類も滅んでないわけです。僕もそうありたいね。
ニールセンのフレームにカレーうどんの写真をセットした。
これなら作れそう、とか、これなら評価してもらえそう、ではなくて、各自が自分の思うホンモノを追求していかないと、全部がつまらなくなってしまう。
熱っぽい時にうっかり検温してもしも熱があったら大変なのでギャラリーに体温計はない。
笑ってもらえるような、というのは、おバカなモノを大真面目に作るということである。
奈良市写真美術館に行ったときは、展示場の出口にある入江泰吉先生の銅像にお辞儀をしてから帰る派です。
地球によく似たどこかの惑星に降り立って、そこにあるはずもない自分の過去を探して彷徨い歩いているような視覚。
個々の皆さんが続けていく理由の中にアビィがあるのなら、これほどうれしいことはありません。アビィが無くなっても僕が死んでも、この場所にあった信条はきっと受け継がれていくはずだからです。ありがとうございますッ!
血圧を計りながら寝てた。ふだん85ぐらいの脈拍が67しかなかった。そろそろ止まるのか。脈。
奈良公園で梅がフワワ〜と咲いてる丘があって、人影はまばらだけどいろんな国の人がいて、奈良らしい感じがあった。
いやぁもう〜・・・熱っぽいわ〜・・・と思いながら頑張った宛名書きは、やはりグニャグニャで熱っぽい字だった。(受け取った人に幸運が訪れます)
以前の作品と写している物は違っても視神経は同じなんだなと考える。
IMAオンラインに掲載されなくても僕の個展は始まるんだよ。笑
#今週も生きている
僕が今までに所有した一眼レフ5台(フィルム4・デジタル1)は全部PENTAXです。
サルコウときたら鶴光しか思い浮かばない。
HOLGAを主に使っているのでフィルム派と思われがちだが、デジタル以外はぜんぶHOLGAって言う感じかな・・・
モーニングをニンニクに読み間違え。かなり疲れていることが分かった。
あまりにも画質悪すぎて新しいかもしれない。
2005年5月にギャラリー・アビィが開業して以来、初めてのことが本日起こりました!なんと出展事項の連絡が、要項で定めた提出期限である金曜日に出展者10名ぶん全て揃ったのです!しかも規定通りメール連絡で!参加人数が4名の時でさえ今までそんなことは一度もなかったのに(僕も含めて、笑)なんということなんでしょう!
ヤバい!野梅〜っ!
ちゃんと仕事したら忙しいのね!
写真は目で見て頭で考えるものだから、言葉も音も匂いも手触りも、もしかしたら味も、あるんですよ。
急募「もう死んじゃう」出ました!
(2018.2)
映画のワンシーンのような写真、というのが、他者からよく言われる感想だし自分もそういうつもりで選んでいる。
しかしそれは例えば物語性があるシーンだとか、その前後のシーンも見えるような写真だとかそういうことだけではなくて「音が聞こえてきそうな写真」というのが一番の要素だと気付いた。
かつて映画はサイレント(無声)からトーキー(音入り)という表現手法の根本における大変革があった。
それはカラー、モノクロ、フィルム、ビデオ、デジタルとかの技術的な進化とは根本的に異なるものである。
先週の夕暮れイロ展で展示した「きこえる」という作品が自分なりの発見に繋がったと思う。
松たか子のニセモノ、たか松子
フィクションでありドラマチックだからこそ、嘘を成り立たせるリアリティが大切。
ホルガみたいなことはやっぱりフィルムのホルガでやればいいよね。もちろんデジカメでホルガみたいなことも試し続けるけど、それはフィルムホルガの代わりにするためではなくて、自分の中で新しいローファイ表現を探究するためにやることであるべき。僕と同じようなことに取り組む人たちそれぞれのやり方が確立されて広まって欲しい。
髭を剃り忘れたまま外出。だが髭は薄い。
大阪人ですけど、Macintoshのことはちゃんとマックって呼びます。
Macから買い替えを考えていたウインドウズマッシィーン(15インチノート)の分割金利0%キャンペーンが今月22日までと知り、自宅PCから慌ててポチりかけたが、ふと思いとどまりアビィに出勤して机の大きさを測ると、なんと!ちゃんと置けないサイズだった。アブナイ、アブナイ(by福田和子)
GH3がいいかも…ホルガレンズ似合いそう…(病気)
プロレスのリングの上で二本の大根が闘っている。投げ飛ばされたりするごとに大根がすり減ってリングが大根おろしだらけになっていく。で、目が覚めた。ほんの数秒ほどだった。イマジネーションがすぎる。
ペンチで乳首摘まれたような。
企画展の応募は毎週がクライマックスです!
ジョン万次郎のニセモノ、万ジョン次郎