観光スポットの前で記念写真撮ってるグループを全然関係のない僕が横から一緒に撮るというのを、東京出張のときにハチ公前でやってみたことがある。テンション高い団体だとこっちにまでピースサインしてくれる。
防湿庫にカメラやレンズを収納するとか、僕は一生しなさそう。てか、カビが生えるような機材など持ってない。
FUJIの8ミリフィルムが生産中止になると発表があったとき、日本映画界の巨匠がこぞって「自作にFUJIのフィルムは使わない」と抗議し、8ミリは5年ほど延命できることになった。写真はどうだろうか。
「明治天皇宇宙の旅」監督の安原伸とレンジファインダーカメラ「安原一式」製作者の安原伸が同一人物だと知ってビビる。
写真で鼻血ならナンボでもいっぱい鼻血出してください。
膨大な組写真の中から選ばれた2枚に新しい意味が宿るように。
年明け待たずに死んでしまうかもと思ったら、撮る事をしんどがってもいられない。
人を泣かせようと思って作られたものじゃないからこそ、心を打つのだと感じた。
喉に餅が詰まって死にそうになる作品が完成。
近所といっても自転車で15分ほど走る。
いろんなことが年末というモノに吸い込まれていく感覚。風呂のお湯を抜いて、最後にゴォ〜っと渦巻く感じに似てる。
そちらへは行けませんが楽しんで下さい。
ニセもんの歌にホンモノの映像を被せている。
自分に厳しく、他人にはさらに厳しく、という人間。僕から漂う「いい加減そうなオーラ」は近年の後付けです。
道は細くて危ういかもしれませんが、それは徐々に自分で幅を拡げていくことができます。
此処は、この世ですから。
2010.12
僕があなたと一緒に走る値段だと考えてもらえたら嬉しい。
値下げで対抗しても結局死期が早まるだけ。
年賀状を書く風習がなくなったら、日本の年末はもっとノンビリしていいカンジになる。
専門学校生の頃、昼間は学校で勉強して、夜は西日本新聞大阪支社(淀屋橋)で暗室の仕事をしていた。毎日、カラーフィルムの現像とモノクロのフィルム現像と紙焼き。んでそれぞれの写真電送(前世紀のコトバやね、汗)
それは学校斡旋の仕事で、なぜか映像学科の学生がかなり昔から代々受け継いでやっているものだった。映像学科なのになんで写真の仕事をしているのだろうかと思いながら、毎日暗室に入っていた。
魔界からの使者・コタツ。
人生って、枝分かれしてる道を自分が選んで歩いているようでも、結局は一本の道でしかないし、その時よくなかったことも後できっと意味のあったことに変わるし、そう思えば後悔も少しは減るかなと思って生きてます。
入試は400字詰め原稿用紙に「私の将来」というテーマで作文を書くだけだった。
生放送はやっぱり楽しい、ということにしとこう。
表面的な美しさだけで完結しているのは薄っぺらい作品だと感じます。
クリスマスツリーと食卓の風景をホルガで撮った。
年末になればなるほどパワーを使う。
左足の親指の付け根の疲れが限界。
生活便利グッズとか大掃除の洗剤とかを買う。これがお互いへのクリスマスプレゼント。いい日だ。
僕が10歳の誕生日のとき、親がなんかすごく盛大に祝ってくれた。ケーキとジュースとフライドチキンぐらいのことだけど、普段は「ご飯と塩と水」みたいな極貧生活だったので驚いた。
「誕生日するのは今年までやからな」と言われ、実際そのとおり、翌年以降、今まで親から誕生日を祝ってもらったことはない。親の心、子知らず。。。と言うが、なんだったのだろう。
きっと宇宙のナントカからのナントカが関係してるんです。
僕は子供の頃、ゴハン食べる時はいつも自分1人だけだったので。
子供の頃から家がビンボーだった。たまにすき焼きをする時は、ネギ、糸こんにゃく、麩、白菜が入っていた。肉はなかった。すき焼きとは何を焼いているのか、子供心にナゾであった。
通りすがりの彦麻呂と間違えたんでは?
透きとおって折れそうで、ひどくまぶしいもの。
ホルガエキスポの打ち上げで、みやちサンがポストカードの行商にやってくる。
僕が死んだあと、僕の作品はどうなるんだろう?
一個人としては、わりと気の短い人間です。
山ほどいる人間の中からせっかく知り合った「その人」を一時的な気持ちで非難したり怒ったりする事は、僕にはよく理解できない。
自分の気に入る人間以外を排除していく行動のほうがよっぽどカンタンで無難じゃないのかな。
僕もシッカリしてないから、人のする事も大目に見ないとね。
真似してやってみた方は判ると思いますが、どういうわけか僕と同じようにはなりません。
それよりも、もっと泣ける。単なる空の写真なのに。
写した人も写された人も、長い時間が過ぎてこの世からいなくなって忘れ去られ、それでもその写真が残ったときに、それを見た人たちが何を感じるか、それを想いながら写真を選ぶのがよいかもしれません。
写せるコトから写せないものを表す。目に見えるコトから見えないコトを考えさせる。見えているけど気付いていないことを判らせる。ほんとうに写したいコトは写真には写せない。
もしそれらが(今はまだ)何かわからないままで終わっても、いつか解明できるはずだから、撮る。
作ってる最中の建物って、崩れ行くある廃墟に通ずるものも感じます。完成したら見えなくなるところが晒されているというか。骨というか。うまく言えない感覚なんですが。
表現するための写真は、知らない人に展示で見てもらって初めて「完成する」と思って下さい。
薄水色の空へ立ちのぼるモクモクとした灰色のケムリ。
喋る事なんか細かく決めなくたっていいんだけどね。いつもギャラリーで言ってる事だから。
僕、徹夜で作業なんか絶対しない。一日中眠いから(笑)
いかにも1つだけの受け取り方しかできない商業的に作られた感動を与えられすぎると、こちらの感受性がダメになる。
テレビ見てる時間があるんだったら自分が撮った写真見て考えてるほうがよっぽど面白い。
2011.1
午前4時って、夜遅いのか朝早いのか。
ホルガの蓋が開くのは当たり前のことです。そして蓋が開いたときの前後1コマはとてもカッコいいカンジになります。
空っぽになったカップ酒のビンをブレボケで撮った写真があって、それがなかなか飲酒欲をそそる。たんなるビンの写真なのに。
僕の事をよく知らない初対面的な感じの人と写真のことで話しをしていて、日頃使っているカメラの話しになって、僕がホルガを使っていることを言うと「あ〜そうなんですか〜フッ」ってなる時、ほんま残念な気持ちにされる。
妻が僕のフリースを着てヌクヌクしているので、僕も妻のフリースを着てみた。
アルバのカレーを食べるときはカレーではない「アルバ」というものだと思って食べてます。
実際ムダかもしれない。でも結果はまだ決まっていないはずだ。
「いろいろな観点からの永遠」でないことは誰でも知っている。
自分が死んだとき棺桶と一緒に焼かれずに、後世の人が残してくれるものを創ろう。
意味不明で受け入れがたいことだと思っても、そういったことの中に新しい発見が案外あったりする。
ふるいにかけて洗練したものばかりを見せるのは、このプロジェクトの主旨には沿わない気がします。
お金があるトコは廃業する決断もカンタンやね。ウチは廃業する費用もないから。
困る〜(知るか)
お気に入り露天風呂温泉画像フォルダを眺める。
よう飲まんくせに以前の記憶でつい。。。ゾンビみたいなこと。
トイカメラは「計算外に入り込む何か」と「その驚き」を楽しんで下さい。
ちゃんとしたカメラで「いいの撮れた」は想定どおり。100%。それ以上はないわけです。
多少の矛盾や欠点を含んでいるほうが、人の考えに入ってきてもらいやすいものなのだろうと思う。
チヤホヤされて順調に行ってたら、ここまで人生狂ってなかった。
結局なんでもアリになってしまうんですけど、それが生きてることそのものなのかなと感じます。
「で、その先に何があるの?」という問いに答えられるのかどうかが肝心なように思う。
写真を撮って表現することはまさしく「自分が生きている」こと。その意識があるのかないのかが結果の違いを生む。
自信は自分が作るもの。評価を恐れて逃げずに頑張って欲しいのです。
ギャラリーという生き方を信じるしかないことは間違いないわけで。
見る人にとってプロセスは判り得ない。最終的に存在する作品にやり方が合っているかどうかが肝心だと思う。
人の考えに感化されたりカブレたりするのではなく、頭の中でうまく言語化できていない自分の衝動を、うまく言語化してくれている考えに出会って、自分の無意識を明瞭に認識できることが大切。
9月15日はニカラグアの独立記念日なので、ニカラグア料理の店に行きます。
ちくわーーー!
2011.2
撮ったあとのことが自由であるべきです。
僕は、人間の視覚にもっとも近い写真はホルガだと思います。
ホントにいろいろな種類や価値観の写真が存在していて、しかもそれが全部写真であることに間違いないんです。
ポジもインスタントも物体としてはっきりした色彩が定着している、ということにくらべての、そのほかのものの不確かさを知るのは大切です。
結果的にそのままで出したのか、何が何でも頑なに触らないのか、というのは大きな違いがある。
昔からポジonlyで撮ってるような人ならいざしらず、そうでないような人にも多いんです。不可解です。
RGBの数値が絶対的な色彩だと思い込んでいる人も多いです。そもそもデジカメが画作りしてることも概念にないのでしょうね。
判っている人たちだけで判っているのでは、枠を超えられないと感じます。
やっぱりみんなウ○コ好きなんですね。安心しました。
香り付のトイレットペーパーってあるじゃないですか。花の香りとかするやつ。そんな感じで「ほんのりウ○コの香り」のトイレットペーパーがあったらタイヘンですね。さっきスーパーに買い物に行って、ふと思っただけです。
ターゲットを意識して作り上げるのは大切なことですが、その反面、意識しすぎてターゲットに媚びたものを作ってしまう危うさも併せ持つかもしれないですね。
関西テレビ報道部のディレクター・Kさんのことはホンマ忘れられない。刑事コロンボみたいな風貌で、あらゆることを的確に最短距離で詰めていく。
20代前半に阿倍野の再開発地区のゴーストタウンを撮ったネガが出てきた。その頃カメラは持ってなくて、写るンですで撮っていたように思う。
ある日、いつも通りアビィで店番してて、そろそろ昼ご飯の担々麺(byショップ99)にお湯を入れようかと思っていた矢先、尾仲浩二さんソックリの人がアビィに入ってきた。それはやはり尾仲さんだった。担々麺食べた後じゃなくてよかった。担々麺臭いギャラリーと思われるトコだった。
久しぶりに暗室に入って、ブローニーのネガをゴニョゴニョ細工してプリントしてると、尾仲浩二さんに「そんなの面白くないからやめたほうがいいよ」と怒られる、という夢を見た。
気分転換に近所にたこ焼きを買いに行く。雪のなか来てくれたからと2個オマケしてくれる。雪の降る町をホルガで撮影。
「意見」と「感想」は違う。
Macの画面越しに文楽人形と対面している。オマエの見所はドコや。
普段からウソやお世辞を言っているつもりはないんですが、はっきりダイレクトに言うと周囲が凍り付きそうで。
いろんな人からの御意見を吸収していたら、立派な作家になれるのかというと、そんな気はしなくて、すごく平均的なヒトになってしまうのだろう。と、思う。
LOMOはカフェ。HOLGAは居酒屋。
LOMOはマシンガン。HOLGAは大砲。
LOMOは精密機械。HOLGAは欠陥商品。
大和川上流にはワクワク動物ランドがある。
僕は法則や理論を探しているのではないのです。
この束のほとんどがボツになります。
自分のしていることが今すぐ何か物質的に役に立つ事は出来なくても、社会にどんな貢献ができるかというのを考えることが作家に必要な事だと感じます。
鈴木ヒロミツが触ったホルガならアビィにあります。
誰が食べても美味しいとか、誰が着ても似合うとか、そういうのを作ってる仕事じゃないんで。
自宅の窓から見える少し遠くの景色の中に工場の煙突がポツンと1つある。風がまったくない日、白い煙がそこから長くまっすぐ立ち昇る。なかなか見られない景色。でも何か不吉な光景にも見える。6枚撮る。
買う金はないけど買えてしまう自営業・・・自制。
2011.3
「トイカメラって使いやすいですか?」
「トイカメラってキレイに撮れますか?」
「トイカメラってちゃんと写りますか?」
そんな意味不明の質問をしてくる人には普通のカメラを勧める。
僕自身は「撮ること」がそんなに楽しくない。それが目的で写真をしているのではないからだ。
金曜日の締め切りに全員の回答が揃ったことなど一度もありません。僕のも含めて。
虚空へ撒き散らすかのようにA3プリンターのインクが減っていく。
白く消えた部分も「写真」であると考えられるかどうか、そこが肝心なことなのです。
昨秋の時点では悪い病気で来年はこの世にいない可能性もあったが、幸いそれを免れて、いま桜を見れている。一個人の些細な身の上話。
一般的に考えられる撮影者と被写体の関係性から発生する距離感と、ビミョーに相違する写真が期待できそう。
わかりやすい感動とか、そういうコトではない、いい空間になりました。
一球入魂、しかも、たくさん撮る。
みずほ銀行の前で信号待ちの間だけお花見。
夢で創作のインスピレーションをもらいはじめたら、そろそろヤバい。
小さい展示物にして誤魔化しても今後のためを考えるとそうはいかない。
最初は2人だけをずっと見ていたツイッター。
昔から、金星人は美人だと相場が決まっております。
2011.4
産業革命に向けて頑張ります。
風呂場に富士山のポスターを貼るしかあるまい。
妙に多い71年生まれ写真集団。皆さん一緒に前厄。
2台買うとアビィで個展ができる。
それは大阪地下オデッセイです。
たった二杯でゴキゲン。今なら黒いこと言いそう。
最低でも100部は作って人の手に渡っていくような本。
個展後の余韻に浸るヒマもなく、アビィが猫写真だらけになった。
色身がほんの少し変わっただけ中身が大きく変わるようなのは良くない。
その時に大切な風景がたくさん駆け巡るように、頑張って生きていきたい。
この風邪薬は風邪の時に飲んでも効かない。
唐辛子を触ったあとの手で目をこすってしまうシーンとか、思わず泣いてしまいますね。
演出者のいないドキュメンタリーはありえない。
今回の個展はひとまず着地できた感じ。次は8月。ひっくり返し方を考える。お好み焼き。
みなさんのために身を粉にして呑みすぎました。
2011.5
用意された確率の中の1つを引くというか、スロットマシーンのようなものかもしれません。
カレーパン美味い。んで、あとで絶対、胸焼けするであろう。
貸してもらうのか貸してくれるのか使わせてくれるのかお願いされるのか、個展もイロイロ。
人の作った物にゴチャゴチャ言ってるヒマがあるなら、先に自分のことを頑張れよ。
ストックのないインクが必ず夜中に切れる法則。
ダイソーのハレパネとたいして変わらん感じがしたのだが、じゃあダイソーので良いか?
多作・寡作は人によりけりですが、いつも何かを狙っている姿勢がないと。
チャンスが見えてるのに引っ張りにいかない人のコトがどうもよく判らない。
僕は森山大道の写真に、ではなく、「アトモスフィア」に少しばかり影響を受けた。
○○○も出てません!
一生のある短い期間のうちだけ集中的に訪れて、そして二度と寄り付かなくなる場所ってあるよな。
批評する側も覚悟を持って発言しているなら良いと思う。
自分の好き嫌いからいかに離れて広い視点で判断できるかが大事。
なんか像がやたら粒粒してる。時間の流れだ。
「自分が楽しい」で完結しないように注意。外へ向いて表現することが欠けると続かなくなる。
ネガの中に28歳の僕がいる。今となってはもう誰かわからないけど、親しそうに写ってる人たちもいる。
やはり明日のトークショーはバッファローマンのコスプレで挑むべきだろうか。
2011.6