興味がないことでもシャッターを押せば撮れるのが写真の面白さ。
2010年春〜2011年秋にかけてのHOLGA写真を見返していた。「時の流れのどこかで」の素になった写真だが、当時の個展では見向きもしなかったような写真に今更ながら色々と目がいく。あと1つか2つ、まったく違うコンセプトで纏められるのではないかと思う。
上映機器の故障で周年記念ビデオが周年記念スライドショーになったが、とりあえず体裁をなんとか整える。
昨日の昼、カップ麺。
昨日の夜、家でやきそば。
今日の昼、お店でラーメン。
今日の夜、地元のお店でうどん。
明日の昼、お店でラーメンの予定。
明後日の昼、お店でつけ麺の予定。
つまり、明日の夜は…麺類にする否か…うぅ…
僕はたとえアビィのパーティーや撮影旅行の飲み会でグデングデンに酔ってても、いちおう仕事中なので心が休まりません、笑。
妻がそれ活に出展する写真の文字入れやら印刷作業やらを僕がやっている。僕が・・・僕がっ・・・!!
なぜ現像に出すのが今日なのかが理解できません(笑)
便りのないのが無事の知らせ方式。
昔、アビィでハーフ判展をやったとき、最近のフィルムは粒状性が向上しててISO400でも画が荒れず、全然ハーフ判っぽくなかった!ということがあった。
ということは、フィルム価格高騰の今こそハーフ判が再びキてるんじゃなかろうか!気分的にフィルム代半額!どう?
スターウォーズになりたい。単純な意味じゃなくて。
のこり20分間切りました!いま思い出した人、まだ間に合う!
個人的な好き嫌いの話しなので気にしないでくださいって言いながら、言いたい放題言って去る人のことは、まあ、なかなか面白い人だなぁと思うようにしております。こういう現象をなんと名付けるべきか、面白い言葉を探している、笑
トラブってからが実力。
暴挙暴挙円山応挙!
それ活(そーれ、活火山に突入)
(2014.5)
妻が亀の写真を部屋に飾ろうしてくる。
変わるために変えない。
ガラスだけ叩き割ろうとして壊す。
二眼レフHOLGAで数年後に向けての試し撮り。従来と大幅にセッティングを変えたのでまったく新しい機材を使っているようである。こういうのもHOLGAの不思議な性質だ。
ウエストレベルファインダーの精度が素晴らしくヒドイ。
珍獣使い
8年ぶりにメイン機交替。
新しいシリーズは誰にとっても身近なことから表したい。けど、日常というわけでもない。
昔は山崎まさよし、今は彦摩呂です!!
新海誠の画集を思い出す。あなたの写真はこんな感じだ、と言われた。
デコボコな本でもまっすぐな本でも、結局トータルのバランスですね。外見と中身がチグハグになってるのがいちばん残念に思います。
そんなりの手触りがあるといいですね。自作品でも既成品でも。
この数日、ラーメンや麺類を食べてる割合が高くて、違う物を食べなきゃって思ってるのに、アタマの中にはラーメンが浮かんでいて、コワイ。で、ラーメン屋にきている…
ラーメンの彼岸を目指して…
後味の濃厚なビールって、醤油の味。
「写した!」っていうのより「写っちゃいました」っていうのが、より「写真らしい」と思うわけです。僕の場合は。
久々に35mmのカメラで何か撮影したくなったりする。
いや、しないけど(笑)
いま使うなら一眼レフよりヤシカエレクトロ35だなぁ。
いや、しないけど(笑)
罵詈雑言を並べた初稿から、優しく期待する言葉が並ぶ決定稿へと、自らを昇華させた。
人の行動に油断してはならないことを、これまでのギャラリー運営で僕は知っております。
「若干遅刻」は5分遅れまで。
チューハイ流し込んで、寝る。
二駅乗り過ごし、引き返して乗り換えて、また二駅乗り過ごし、いま引き返すとこ。
親が元気な人がうらやましい。
自分がしたいことはもう諦めずにやり通したいのです。
帰宅。死者ゼロ。
ピント合わせが厳密にできるカメラは、自分で合わせたピントの雰囲気に酔っちゃうので、僕はあまり好きではないです。
ウエストレベルファインダーが感覚的に合わない。
カメラはなんでも使いますけど、魂を込めるのはHOLGA。
標準語使うか広東語使うか、に空目。
新しいミラーレスのカメラを見るたびに、HOLGAレンズを付けて使う事しか思い浮かばないので困っている。
制作資金難のため、データは仕上がってるのに印刷の発注ができない。
消えていく物の姿を残すために写真という方法が存在する。
いいものは、古びない。
来世は瀬戸内寂聴にでもなったらいい。
(2014.4)
山奥で水車にホースで水をかけて回しながら静かに暮らしたい。
流した水はそのまま川に還ります。
予定しない調和を探る。
松たか子のニセモノ、たか松子(2年に1回ツイート)
何かわからないことに向けてシャッターを切ることは大切です。
二度と撮れないものは、だいたい身の回りにあります。
子供と老人のポルカを歌いながら洗濯干し。
1名ギックリ腰のため搬入遅延。汗涙
海の向こうの本も無事に出来たので、安いカップ酒を記念に飲む。
出血ではありません!尿です!
オフラインで余生を過ごしてください。
寝起きの百太郎(前世)
日本のいろんな公園の片隅で、旧ザクのプラモデルを組み立てながら静かに暮らしたい。
雨があがって個展初日。とりあえず二度寝しよ。
悠久の昼寝から生還。
廃墟をよく「夢の跡」とか「廃れる美」みたいな括りで表現する人は多いが、なんかそれだけでは済まされない。写真共有サイトで日々流れてくるきれいな写真を見て覚える違和感と同じものがそこにはある。
満開のつつじに埋もれたい。
俺はつつじジュースになる!!
深夜に妻とムーンウォークの練習をしている。
インテル入ってないウインドウズマッシィ〜ンはこの20年間で初めてである。AMD。
佐川破壊便。
ちゃんとした服といえば、ピンクのホルガT。
ウインドウズ8.1になった。何もかも気色悪い。
今日は鳥取ノ荘で何もない海を眺めながらチーズちくわを食べようと思っていたが、天気が良くならなさそうなので、家に引きこもって布団虫する。
田舎を訪れたい。具体的な行き先案はない。
自分が後世に何も残せない人間だという前提でスッキリ暮らす人生なんて空虚。
悠久の二度寝。
あまり儲かってない自営業者がそろそろ焦る頃。
帰宅して領収書整理中。毎年、領収書の束の中から絆創膏と一円玉が必ず出てくるのだが、今年はボルタレンが一錠出てきて、その次はパンシロンが一袋出てきた。頭痛と胸焼けに対応。
KSとは確定申告のこと也。
視界や思考に少しでも引っかかったことはすべて撮ります。自分の目の前の世界から、よく分からない事柄を探すのが写真家の仕事の根本だと考えています。
あ、なんかアレいいな〜とか思ってカメラ構えてファインダー覗いて、やっぱ違うな〜って撮るのヤメちゃうのは勿体無いですね。その場で答えが全部分かって撮ってる写真って、後から見たら大抵つまらなく思うか、たんなる上手く撮れた自慢で。やっぱ違うなぁって時にこそチャンスがあるわけで。
その無駄が大事よね。いつか使う写真になるはず。
未来とかナントカ言ってたことは徐々にどうでもよくなってきている。
スーパー玉出で5キロ798円の米を買ったら、半分ぐらい米粉みたいな米粒だった。洗ってるうちに溶けて量が減ってしまう。
領収書の束をこれ以上見ると健康を害する危険性がある。
「近づけない」っていうのは、画の中味は真似れても、撮った後の意味の変化が全然違うということ。
なんと!ネバネバするんでしょうか!
作家名は第二の人生ですので、いい名前を命名してください。
金ピカ先生のことを急に思い出して検索した。生きてた。
(2014.3)
選んだ自分にとってもチャレンジとなる人を選んだ。
たんに、偶然に気づけるかどうかの違い。
スタンプラリー無視で回る。
黄桜の売店で散財しそう。
各種咳止めグッズをカバンに詰める。
アビィだったら、その期間、額縁預かりっぱなしOK。
鑑賞に適した角度があります。
その存在の意味が判らないのは焼きそばパンである。
洗濯機のカドにぶつけた左足の指が痛む。
チカラなく話し掛けますが、死にませんので安心してください。
作業は身体が動かせるうちになるべく進めておくのが鉄則。
印刷を粗くやりすぎて、自分でも雰囲気がわからん。
親子丼を作るつもりで、鶏肉の混ざった玉子焼きになった。
ゾンビ映画細切れ詰め合わせを観たあとのマグロ刺身。
どうせ赤字なんやから不毛な作業。
写真のコトで「普段、何を撮ってるんですか?」ていう質問って、人物とか花とか風景とか、そういう答えが欲しいんやろうけど、それって「普段、何の料理してるんですか?」みたいな質問と同じよねぇ。ずっと魚焼いたり、毎日カレー作ったりしてないよ?笑
ノーモア確定申告。
領収書の束に生命力を吸い取られております。
ビバ!HOLGA展
この世に写真が誕生してから百数十年という長い年月が経ちました。「写真を撮るための装置=カメラ」は進歩を重ね今ではフィルムからデジタルへと大きな転換期に入ってきています。
そんな技術革新の時代に「写真が撮れるオモチャ=トイカメラ」という「真面目に写真をやっている人なら見向きもしないようなジャンル」が静かなブームとなっています。
いまあなたの目の前にある黒くてヘンテコな物体はそのトイカメラの代表選手と名高い中国製の「HOLGA」というカメラです。
ヨーロッパを中心に世界各地で多くのアーティストが愛してやまないトイカメラの名機です。ニコンやキャノンやライカにも負けません!(きっと)
では実際にHOLGAを手に取ってみてください・・・・軽いでしょう!見た目はゴツイですがオモチャなので中身はスカスカなのです。カメラに詳しくない人でも「こんなので本当に写るのかな?」と不安になってしまうこと間違いなしです。
しかしこんな人をバカにしたようなカメラでもよく写るんです・・・いやよく撮れるというほうが正確でしょうか。どんな高級カメラでも真似のできないHOLGAならではの世界にハマるとなかなかクセになりますよ。
私は写真を始めてそれほどのキャリアはなく拙い作品ばかりで恐縮ですが、今回の写真展で「HOLGAってちょっと面白そう!」とあなたに感じてもらえたらとてもウレシイです!
ビバ!HOLGA!
作者・吹雪大樹
(初個展の挨拶文・2001年9月)
パンシロン飲んだのに、まだ胸焼けする。
太陽系の最果てにある雲、っていうのは、実際にある仮説で、観測結果からそこに何かありそうな気配なのだけど、まだ誰も確認できていない。
獣道をひた走る虚弱体質のオッサン。
ストーブの前で妻がギタレレを弾いている。その横で、僕は暗い写真をレタッチ作業する。
銀塩モノクロの代替えではないデジタルモノクロを。
未来を頭の片隅に置いて撮っているうちに、それは過去と極めて近似するモノではないかと思えてきた。たぶん最終的にはそれさえどうでも良くなって、未来のさらにその後のコトを考えてるんだろうな、と思う。
とりあえず、昨日よりも自分の生命反応を感じる。
アンゼルム・キーファーの『星空』という作品にすごく心を惹かれた。
なんかもう節分の豆を食い続けて70歳ぐらいになった。
(2014.2)
カビキラーでさらにキレイになった風呂場を眺めてウットリしていた…
まだ形にならざる何かが今から楽しみだ。
写真群を完全に選び抜く前の少し混沌とした状態を1枚1枚見る感じ。
買い占めが横行したらもう入手できなくなるかもね。どうせ冷蔵庫に入れとくだけなんやからオレに使わせてよ、ってカンジやけど、まあいいわ。
「インデックスやベタ焼きの印象で判断しない」が持論。
物の色やカタチをふだんから子細に観察していないとすぐにパッと描けないわけで。
ちゃんと自分の中から表れたものは、時代や流行りに左右されず、古びないのかも…と。
本当にインプットって言っていいのは、自分が動いて実際に体験した中で発見できたことだけだと思う。知識は知識であるにこしたことはないけどね。知識だけで作ってたら、それは流行を追うようなことになってしまう恐れがあるというか。賞味期限がある作品ね。そんなのはイヤ。
いちどアタマに入れたものが細胞分裂していろいろなカタチになっていかないと。いちいち今はインプットする時期だ!とか言ってるようじゃ、なんぼ入れたってすぐ蒸発するよ。
金箔の味は…噛みしめる味。
鑑賞者がまだカタチにならざる何かを自分の手でしっかりと捉えつつ、ここから作品として昇華していく様を想像してもらえるような、そういう作品になればいいなと思う。
さすがの僕も田んぼで展示するのは初めてです。