個展写真の並び順を考えている。
どうにも収まりがつかない1枚でも、それが入る場所は必ずあるはずだし、そういう写真に限って実は重要な意味をあとになって帯びる事がある。
適当に置いていいような写真は1枚もない。
今回は「他者によって選ばれた」写真という性質があるため、自分では選ばないようなのが何枚か入っている。
でも「自分では選ばないような写真」を撮っているのは間違いなく自分自身なので、それが他者の目によって選ばれるということは、やはりその写真には何か重要な意味があるんだと思う。
明日は心の中の敬三やヒロミツに邪魔されず、ペンキ塗り作業をやり遂げたい。
僕は、興味のない物でもシャッターボタンを押せば写ってしまうところに思わぬ面白さが隠れている、みたいなふうに写真のことを考えたりします。
いや、油断してはいけない。僕は知っている、恐怖の数々を。(倒置法)
搬入が遅れる前提で話しの進んでるのがオカシイ!
去年の笹を燃やしてもらった。辛かった2014年が空に昇って消えていった。
葛根湯500mlペットボトルが発売されたら絶対買うよ。
全員チキンラーメンでもみんな写真は違ってくると思うんですよね。器とか机とか時間とか場所とか鍋から食ってるとか。箸じゃなくてフォークとか。
気分も体調も下り坂にさせる嫌な降り方の冷たい雨。
明日はアビィも仕事初めですよ。ずっと休めるのは死んだ後のことですわ。
出来上がったものは送れる時に送るのが吉◎
僕の心の中の敬三が目を覚ましただけなので心配しないで下さい、みなさん。
俺の心の中の敬三とヒロミツは化石の荒野に追放した。今日は心をマイケル富岡にしてペンキ塗りを頑張るっ!
新年会なので、飲む勢いかの如く、かおりの蔵(ポン酢)をつかってみた。実際、コップ一杯ぐらいは飲んだっ!
家にTVがないので世間は不思議です(笑)
筋肉痛はかなり回復。寝ただけなのにおかしい。宇宙人にさらわれて治療されたか、昨日のぶんの筋肉痛がまだ訪れていないだけか。あるいはこの世界すべてがマボロシなのか。うん、きっとそれだ。
もし今もMやち氏が大阪にいたら、こういう状況についてそろそろ喝を入れる頃かもしれない。
フィルムスワップで多重露光した写真の著作権は、フィルムを現像した人に帰属するもんなんでしょうか?
だからこそ、今信じてくれる人のことは大切に思うよね。
帰宅後、黙々と事務仕事。次週一気に企画展を9つ公開するので準備が大変である。1つ1つの企画に表立ったテーマとは別に、やる意義と意味を与えている。ウチに思いつきのあてずっぽうでやるような企画は無いのだよ。それがちょっとでも伝わる作家さんがいたら嬉しいが。
生き続けること、撮り続けること、時間と日々と自分を編み続けること。ごく当たり前のことですけどね。
腐った酢の破壊力を人類が初めて経験する瞬間・・・
自分の感覚を評価の軸に据えてしまうのなら、人に見せる必要は初めからないわけです。そうではないでしょう?
郵便局で散財してきた。
え、ええっ?!(訳:ちょ、ちょっと予約しようかな)
みんなが年賀状を書かなくなったら、日本の年末はもっと平和になると思うんだ。
ミクシィが泣いています、早く思い出してあげましょう☆
盛者必衰の理をあらわす・・・いや、栄えた事などない。
アビィおみくじとか作ろかな。全部に「個展するのが吉」って書いてある。
5日ごとにくる支払日のことを気にしなくてもいい世界へ旅立ちたい。
昨夜の最後に撮った集合写真がいい感じ。
ワタシ次第じゃなくて、ワタシの問題、が正しいかと。
今日知った言葉。八千代チャーマー。
俺よりもプリントパックが先に仕事納めしてる・・・
(2014.12)
コップはプレモル、中身は金麦。
放送禁止のピーですか?
いろいろかき集めて今日分の支払いを済ませ、荒みゆく我が心。こんな日が今月あとまだ二回ある。生き残ることができるのか…知るか!
みんな忘年会楽しそうだな…こっちは忘年どころか、忘月、忘日、忘時…忘れたいことだらけなんですが。忘俺とか忘人生でもいいや。
カウンターだけしかないどうでもいいような串カツ屋で黙々と熱燗を呑みたい。
自分の夢ならゴハンはなんとか食べられるが、他人の夢を待ってあげるだけでは、なかなかそうもいかない。
雪が積もって真っ白になった鳥取砂丘で日本海を眺めながらうまい棒メンタイ味を二本食べたい。
穏やかな結婚生活には様々な努力が必要とされます。
両方がいっぺんに怒ってる状況を作らないことがケンカや戦争を避けるコツでございます☆
トランクいっぱいの500円札、今ならそれでもいいんだ。
おねえちゃん酒粕くさい〜(罵倒)
忘年会に呼ばれるような人付き合いにも組織にも縁遠いので年末はいつも静かだ。だいたい家でご飯食べてる。
オールスターズ戦の搬出後の飲み会だけが僕の忘年会だ。ていうか、あれで充分。自分とこのパーティーなのに記憶消えるぐらい飲むよね、毎年。
友人同士から見れば、また全然違う補正が掛かるのだろうけども。思い出の中にある写真は他人にはなかなか見えてこない。
食べるため焼かれてる山羊の目がよかったな。食われるために育てられ、目的を果たした目。受け入れなければならないことを受け入れるしかないその先の悟りか。
なんか熱っぽいと思って体温を計ったら35度台やった。死ぬんか。
今日の虹はデカかった。足元が見えそうなぐらい間近にあった。でもアレって追いつくことはできないんだろうねぇ。近づくぶんだけ離れていくよね。
なんか自分の思ってる日付と世間の曜日がおかしいと思ったらカレンダーが先月だった。
プリントをご購入頂いたみなさまのお顔を思い出しながら発送準備中。
妻にコタツ替わりにされて大変だった。
10日ぶりにラーメンを食べた。今日行ったお店は土曜日になると月曜〜金曜の日替わりセットから好きに選べるシステムで、今までに倒してきたラスボスが最後に一斉に攻めてくるような感じがある。掛け算で言うと九九の9段目である。
光の速さより早く生きなければ未来には会えない。
家でずっとウクレレ弾いてた。別に上手でもないけど、好きな歌がなんとなく弾けたから、満足。
クロエ・モレッツを定期的に画像検索する
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揉みやがれ〜
揉みやがれ〜
揉みやがれ〜
ガンダム〜
近江八幡でランチといえば初雪食堂以外、どこへ行くというのだ!
黒い枠があるのとないのを見比べる。遠ざかる風景と目の前にやってくる風景。
そりゃあもう、きっと出会いますよ!シンクロニシティー!
そんなカンタンに済むようなモノなら人に見せる必要もナイですよね?
自ら足を踏み入れた迷宮なら、出口はすでに知っているハズだ!
和歌山個展在廊中、なぜか和歌山ラーメンを食べなかった。というか、先週の木曜からラーメン食べてない。今日のお昼もウドンにしてしまった。死の予兆かもしれない。
適度に怖く見えるほうがいいと思います(丸顔のオッサンより)
2014.11
3月で閉廊するギャラリーのお話しを新たに1つ伺い、ちょっとウラヤマシイなと思ったりもする(笑)
分かりやすく作る事と、内容を簡単にしてしまうことは、似ているけど全然違うわけです。
後出しジャンケンみたいなことはちょっとツライなぁ。よそのツギハギで新品を装うより、もっと新しいことは無いものかしら??
宇宙のことについて。自分ではどうすることもできない世界のこと。だがすでに写真はそこへ向けて放たれている。
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近所の古い長屋が二軒、昨日から取り壊されていて、作業の音がうるさい。つい先週までお年寄りが住んでいたのに。最近、バルコニーから見える景色が変わってきた。ダサい色使いで似たようなデザインの戸建てが並んでしょうもない風景。以前みたいな写真はもう無理だなぁ。。
んなことを書くと、街の風景はあなたの写真のためにあるわけじゃないですよ、と、ほんまにどうしようもない、ワケわかったフリして何にも気づいていないフツーの人から、有難いコメントを頂戴しそうだけど、そういった人とは初めから繋がっていないのでヨカッタよ。
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胃薬イッパイ、夢イッパイ!
まるで息をするように胃薬を飲むんだよ、僕は。
撮りたい光景がポツポツと湧いてきた。わりと具体的な内容だがあくまでもこのイメージは概念として記憶するだけであって、そのイメージを実際にセットアップして撮るという事はしない。それをするんだったら、映像制作してた頃に戻ってやり直す。僕にとって写真というのはそういう性質のものだ。
かろうじて生きておりますので、生温かく見守ってください。
半分寝ているというよりも、ほんの僅かに起きている、という感じ。
評価を恐れて何もできないってのもアレだけど、取っ替え引っ替えいろんな人から評価を聞きまくって自分の実力を知ろうとするのもなんかアレだな。ていうか、そういうのがむしろフツーの人なのかもしれない。主語なし。
俺の胃に何を消化させるべきか…
撮影者の視線ならざる私か僕、が、撮ったかのような、特異な視点から見えてくる世界というような。他者の視覚を介して切り撮られた写真というか。
やたら外が暗いので、ずいぶん仕事したような気分になる。
いつかへ向けての作文が、ほんとうに作文みたいになって幻滅。その場つなぎの軽い言葉の羅列。自分の中からまだ気持ちがちゃんと突き出してきてないね。急ぎ過ぎか。でも急いだほうがいいよ?とか自分に思う。
クルっと丸めたパーマセルテープを海苔巻きと呼ぶ(俺が)
来年2月の個展も、その次の5月の個展も、まだ始まってもいないが、さらにそのあとの何かに向けてテキストを書き始める。どこへ放たれて誰に届くのか。
三晩で飲んだ酒は缶ビール1本だけ。体調悪いね。
最近うちの冷蔵庫からパシフィックリムみたいな音がする。
悠久の二度寝から目覚め、世界が動き始める。はやく寝たい。
綺麗に撮れるカメラと綺麗に撮る技術は別。
写真が綺麗に撮れることの延長線上に作品をつくることが並んでいるとは限らないわけです。
自宅のボロマンションが風で揺れる。3階あたりからバキッと折れそうである。オレは6階、大丈夫だぜ?
4年間で5度の個展に渡りボツになり続けた1枚の写真がついに額装された。
撮る人の数だけ主義主張があって、同じだけ肯定否定があって、その中の誰が正しい、誰が間違い、とかではなくて、各自が自分の思うホンモノを追求していかないと、全部がつまらなくなってしまう。
京都の町をあちこち歩いたというのに、本日の撮影枚数はデジカメ1枚、ホルガ3枚という体たらくであった。しかも撮ったのは全部自分ちのマンションの前の空き地だった、京都関係ないし。つまり自宅近所最強。
空中に向かって話し掛ける映像を収録。テイク4。
以前、飯沢耕太郎さんに「普通とか毎日とか日常みたいな感じのタイトルはやめたほうがいいよ」と言われたけど、この集大成である個展に「日々」というタイトルを付ける!
今日は定時で帰りますのでよろしくお願い致します(何を)
(2014.10)