覚え書きC
僕が廃墟で写真を撮らなくなってからだけで既に13年も経つ。新しい廃墟写真は増えないが、廃景展に向けて「廃墟の写真」についての思考は13年間積み重ねてきた。写真に写っているものは過去だが、それを見て考えるのは「今」である。14度目の廃景展で自分なりの答えが見つかったように感じる。
今回の廃景展の展示写真(16年前のフィルムからA1プリント)を設営した時は、ビシッと写ってノイズもクリアなデジタル写真に比べるとさすがに画質的な厳しさがあって取り下げようかと迷ったが、見ているうちにだんだん良さが判ってきた。お客さんにも好評である。足りなさが新しい何かを作り出しているのか。
今後も廃墟の写真を新たに撮るつもりはない。すでに大量の写真があるし、今はもうこの世から消えてしまった風景ばかりだ。短い期間で集中的に撮ったこれらの写真のことをこれからもずっと考え続けていきたい。
今回の廃景展の展示写真(16年前のフィルムからA1プリント)を設営した時は、ビシッと写ってノイズもクリアなデジタル写真に比べるとさすがに画質的な厳しさがあって取り下げようかと迷ったが、見ているうちにだんだん良さが判ってきた。お客さんにも好評である。足りなさが新しい何かを作り出しているのか。
今後も廃墟の写真を新たに撮るつもりはない。すでに大量の写真があるし、今はもうこの世から消えてしまった風景ばかりだ。短い期間で集中的に撮ったこれらの写真のことをこれからもずっと考え続けていきたい。